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院長紹介

名前 満岡 渉(みつおか わたる)

略歴​

昭和33(1958)年 長崎県諫早市生まれ
昭和52(1977)年 鹿児島ラ・サール高校卒業
昭和59(1984)年 九州大学医学部卒業
昭和59(1984)年 九州大学医学部循環器内科

昭和59(1984)年 (中村元臣教授)入局

昭和61(1986)年 九州大学医学部心研で
昭和61(1986)年 狭心症の研究
昭和63(1988)年 九州大学医学部循環器内科医員
平成01(1989)年 佐賀県立病院好生館内科医員
平成03(1991)年 愛媛県松山赤十字病院

平成03(1991)年 循環器科副部長
平成06(1994)年 父・満岡剛太郎のあとを継いで、

平成06(1994)年 満岡内科・循環器科を開業

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2021年3月撮影

資格・役職

昭和56(1981)年 英検1級
平成03(1991)年 日本内科学会認定内科医
平成05(1993)年 日本循環器学会認定専門医
平成12(2000)年 日本医師会認定産業医
平成18(2006)年 諫早医師会理事
平成19(2007)年 諫早市介護認定審査会会長

平成19(2007)年 (平成27年まで)
平成24(2012)年 諫早医師会副会長
平成30(2018)年 長崎県央看護学校校長

研究のテーマ・関心のあること

冠動脈スパズムのメカニズム
循環器疾患の疫学
医療紛争、医療安全、医療事故調査のあり方

ごあいさつ

満岡内科・循環器科のホームページをご訪問くださり有難うございます。
院長の満岡渉です。

当院は大阪万博のあった昭和45(1970)年5月、私の父で現名誉院長である
満岡剛太郎が開院いたしました。
当時の名称は満岡内科医院で、当院のロゴマークにあるような小さな建物でした。
昭和54(1979)年に増改築して現在の建物になり、平成6(1994)年、剛太郎が勇退し、
私が後を継いで、満岡内科・循環器科と名前を変えて現在に至っています。

当院の診療科は内科全般で、なかでも循環器内科が専門です。循環器内科とは
高血圧や心臓病(狭心症、心筋梗塞、不整脈、心臓弁膜症、心不全など)を
診断・治療する科で、これらと関係の深い糖尿病・高脂血症も診療します。

血圧・血糖・中性脂肪の異常(=いわゆるメタボリック症候群)や、
コレステロールの異常、胸痛・どうき・息切れなどの心臓に関する症状について、
お気軽にご相談ください。

このホームページが皆様のご参考になれば幸いです。

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2009年2月11日
満岡内科・循環器科 
院長 満岡渉

無床化のお知らせ

患者の皆様へ

日頃から当院をご利用くださり、たいへん有難うございます。
さて、突然ですが、当院では2017年8月末をもって2・3階の病棟を閉じることになりました。
これに伴い、当院は有床(ゆうしょう)診療所から無床(むしょう)診療所となります。

有床診療所は、かかり付け医が外来・入院・在宅と継続して責任を持って診療を行うというわが国固有の医療システムで、入院から看取りまで地域医療の中核的役割を長年担ってきました。 とくに今後ますます高齢化するわが国においては、緊急時に頼れる地域の安価な入院施設・安らかな看取りの場として、有床診療所の必要性は増えることはあっても減ることはないと思われます。

しかしながら、国は久しく、入院治療を大病院に集約し有床診療所を排除する政策を取り続けてきました。現在有床診療所の入院基本料は病院の半分以下にまで抑制されています。こうした政策の結果、この20年間でわが国の有床診療所は3分の1に減少し、現在も年間約1000もの有床診療所が無床化しています。

当院も開院以来47年間、有床診療所として診療してまいりましたが、著しく低く抑えられた入院基本料、看護職員の不足と過重労働、スプリンクラー設置の義務化、その他諸々の事情から、いよいよ病床を維持するのが困難になり、残念ながら無床化せざるを得なくなりました。

当院の病床を頼りにしてこられた患者の皆様には誠に申し訳ないことですが、こうした事情をお汲みいただき、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。入院が必要な患者さんにつきましては、従来どおり諫早総合病院をはじめとする中核病院や近隣の有床診療所へ適切に紹介いたしますので、ご安心ください。

なお、外来の診療はこれまで同様頑張ってまいります。
今後とも当院をよろしくお願い申し上げます。

2017年8月     
満岡内科・循環器科
院長 満岡 渉  

満岡内科・循環器科
〒854-0004
長崎県諫早市金谷町4-1
TEL 0957-22-2927

満岡内科・循環器科 外観
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